Aqours(3年生) 三戸城?三戸氏?「三津」地名の由来[不思議! シーパラダイス発見]

青葉裕紀2021/05/10 15:50:10 | 2021/07/01 02:58:27
Aqours(3年生) 沼津
不思議! シーパラダイス発見

ダイヤが「すっきりしませんわ」
と言ってた「三津」の地名の由来に迫る。







不思議! シーパラダイス発見



三に津と書いて三津……どうして津を「と」と読むんですの?


確かに、気になる……。

ちょっと調べました。

これだって断言できませんが、
3つほど仮説を立てました。







史実と、3つの仮説


3つほどの仮説。



【史実】御津里から三津御厨、そして三津庄


平城京木簡、天平7年(735)10月「田方郡棄妾郷」
「御津里」とある。
『平城宮発掘調査出土木簡概報(三)』P25)



この「御津」が「三津」になって(?)、
平安末期~鎌倉期の史料には、荘園「三津御厨」が散見されてる。

南北朝期以降は、荘園、伊豆国「三津庄」だったらしい。
初見:応永7年(1400)11月14日『足利義満御判御教書』)



現在の三津は、この荘園の遺称地といえる。







初見:治承4年(1180)5月11日 皇嘉門院惣処分状

「いつ みの ミくりや」(伊豆 三津御厨)と書かれていたか、あるいは、
「いつ みの ミくりや」(伊豆 三津御厨)と書かれていたか、さまざまで、

1180年の時点で、まだ「みつ」だったか、もう「みと」だったか、
定かじゃない。

【わからん】いつ、「みつ」から「みと」になった?







【仮説1】三戸城が三津の由来?


『太平記』(巻37)、
康安元年(1361)畠山道誓(国清)伊豆に拠る条、
「三津金山修善寺の三城を構ふ」と書かれてる。

太平記によると、1361年には三津に城があったようで(発端丈山)、
太平記だと「三津城」かもだが、この城が当時は「三戸城」と呼ばれてた可能性がある。

【仮説1】三戸城が三津の由来?







【仮説2】三戸氏(三戸次郎)が三津の由来?


平安時代末期、
「三戸次郎」という武家が伊豆に居たらしい(在地土豪)。

本名とか生没年は不詳、
源頼政の子、仲綱が(隠岐守から)伊豆守になった
と言われていて、三戸次郎は仲綱の子孫という説がある。

【仮説2】三戸氏が三津の由来?







【仮説3】それ以外


仮説3、えらい雑で恐縮です……。

たとえば、
沼津市誌下、「水のたまる所という意による地名」
書かれてるらしい。







参考文献


『伊豆大事典―紙上博物館』伊豆学研究会伊豆大事典刊行委員会
『角川日本地名大辞典』(静岡県)角川書店

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